第31回 写真と俳句

ある俳句雑誌の新年号に4ヶ月前の私の個展が紹介されました。「ある個展」と題して著名な俳人N氏が特別エッセイを書いて下さり、展示作品への鋭い観察眼に大変感銘を受けました。

写真と俳句とは似た芸術としてよく話題になっています。その共通点としてN氏が挙げておられるのは

▽余白を大切に、省略を尽くす点

▽物を示すだけで思いは述べない点

▽景やもののコピーでなく、その背景に必ず「私」がいなけ  ればいけない点

▽自分がよいと思っても、共感者がいなければいけない点

▽理屈でなく心で作る点

▽ポイント(見せ場)がなくてはいけない点

▽打座即刻(瞬間)の芸術である点……そのことについて   芭蕉は「俳諧は今日のことにて候。」と申しております、と  添えられています。

これを読んで改めて考えさせられました。いつもカメラを構えてからシャッターを切るまでの短時間に頭の中で整理していることがすべて列挙されているのです。ことに最後の点については、知人のイラストレーターが「我々は瞬間芸でメシを食っている。」と言っていたことを思い出しました。皆さんはどうですか?この七か条をもう一度読み直してください。

他の芸術との違い

では絵画や彫刻、音楽など他の芸術とはどう違うのでしょうか。

まず、写真には絶対的な制約があります。カメラやフィルムなどのメカニズムの制約だけではなくて現場で作業のほとんどを終えなければならない、ということです。デジタルの普及で撮影後の加工が出来るようにはなりましたが加工すればするほど写真が持っているリアリティが失われます。

俳句も同様で、他の文学(小説や短歌)と比べると17文字という絶対的な制約があるのです。しかも季語を入れなければならない分、川柳よりさらに字数が減ります。その少ない字数でどれだけのことが語れるのでしょうか。実は一年ほど前に貴重な経験をしました。

17文字での感動

それはある得意先の葬儀でのこと。やり手の女性部長が働き盛りで急逝されました。私も長くお世話になった方だけに辛い思いで参列しておりました。葬儀社の方が次々と弔電を披露され、終わりに近付いたときに故人の父親の友人から、と断って次のような弔電を読み上げたのです。

「 紫陽花や 娘を先に 野辺送り 」

突然、会場のあちこちですすり泣きの声が聞こえました。私もこらえていた涙があふれ出るのを止めることが出来ませんでした。

多くの弔電の中で、たった17文字の弔電が最も人の心を打ったのです。専門的なことはわかりませんが、これだけの感動を与える俳句とは素晴らしいものだ、と思いました。

制約の中で

写真も数々の制約の中で多くの名作を残してきました。欧米の写真家たちは長年の努力の結果、他の芸術家達と対等の地位を確立することが出来ましたし、日本でもようやく「写真家」の存在が認識され始めました。

確かに他の芸術と比べれば上述したような制約が多いかもしれませんがどんなジャンルでもそれはあります。映像に動きや音声を加えた映画は数々の名作を生み出していますが膨大な制作費やスタッフが必要ですし、映画館やモニターがなければそれを鑑賞することもできません。その映画以上の影響をたった一枚の写真が与えることだってあり得るのです。

このように、制約が多い写真と俳句とはそれを跳ね返すために出来るだけ余分なものを省略して「凝縮」する作業を繰り返してきた、といえましょう。そして、この「凝縮」こそが写真と俳句の最大の強みなのです。

もう一度、N氏の「七か条」を読んで力強い作品作りに励もうではありませんか。                                                          次へ