ヴェトナム編(1) ハノイ

機内で

ハノイへの機内で(香港経由だった)隣の白人男性に行き先を聞かれ、「ベトナム」と答えたのだが通じずキョトンとしている。VietnamのVの発音を誤ったのだ。以前、アメリカで Virginia を「ヴァージニア」と言わず「バージニア」と発音して通じなかったことを思い出し、今度はゆっくりと「ヴェトナム」と言ったら通じた。

この「V」の発音にはいつも悩まされる。人気のカラースライドフィルムVelviaも「ベルビア」ではなく正しくは「ヴェルヴィア」である。普段から正しい表記を心がければ間違いは減るだろう。

素敵な笑顔

これが首都の空港か?と思うほど質素な空港に降り立ち、入国すると迎えのガイドが待っていた。挨拶もそこそこに車に乗り込む。かなり前の日本の大衆車である。決して綺麗な車ではないがチャンと走ってくれればいい。

車窓から道行く人を眺めているとあることに気が付いた。人々の表情が明るいのだ。道路の混雑振りや人の多さは中国並なのだが、違うのは笑顔が多いこと。目が合ってこちらが笑うとすぐに素敵な笑顔を見せてくれる。この笑顔はあの戦争を思うと予想外だった。国民性だろうがこれからの旅が楽しみになる。ところが…

車内のガイドはただしゃべりつづけている。今後の予定などをしきりに聞いてくるのだが彼の英語がとても聞きづらい。私の英語もたいしたことはないのだがこちらの質問にはすぐに返事をするところを見ると、ちゃんと彼には通じているようだ。

ガイドとのコミニケーションがうまく行かないときはイライラする。タクシーにすれば良かった、と後悔したがもう遅い。

ハノイの駅前の静かなホテルに到着。ガイドが明日からもぜひ!と叫んでいたがストレスがたまりそうなので断った。どんなガイドか会うまではわからないのでいつも一日以上は予約しないようにしているのだが正解だった。

それにしても静かである。夜半に窓から外を見たが暗くてとても首都の駅前通りとは思えない。おかげでぐっすりと休むことができたが…。

人物を撮る

翌朝の食事にフランスパンが出て驚いた。これはフランス統治時代の名残らしく、繁華街を歩くとフランスパンを売る店が結構多い。そして、最もにぎやかなチャンティエン通り付近にはコロニアル様式の洋風建築が多いのも頷ける。

ホアンキエム湖までやって来た。ベンチに腰をおろすと向かいのベンチですげ笠の女性が休んでいる。物売りの女性らしいがなんとものどかな風景なので湖を背景にしてシャッターを切る。また、時々出会うアオザイの女性の姿にも魅せられ何枚も撮る。

今度はカーキ色の軍帽(サファリ帽)をかぶった初老の男性と出会った。撮影してもいいか?と頼むと満面の笑みを浮かべてくれた。顔のしわの一本一本がヴェトナム戦争などによる苦難を物語っているように思える。この笑みはやっと手に入れた平和を表現しているのだろう。

笑顔が素敵なせいか、今回は人物を多く撮っていることに気付く。一瞬の表情を捉えようとするため風景よりもどうしてもフィルムを多く使ってしまう。この勢いで撮り続ければフィルムが足らなくなるのでは…と不安になってきた。

風景を撮る

一本の柱の上に建てられているので有名な一柱寺。ハスの花の形を模して造られただけにユニークで見ているだけでも楽しい。

バーディン広場からホー・チ・ミン廟を見上げると、この地が政治・文化の中心であることがわかる。民族的英雄である主席の遺体が安置されており、全国からたくさんの人々が訪れる。国会議事堂や外務省などもそばにあり、整備された一帯には首都の風格を感じる。

ハノイから車で3時間近く走ってハロン湾へも行った。”海の桂林”と称される景勝地で奇岩が海面に姿を映し出す光景は幻想的である。

ただ、写真の迫力では本場の桂林にはかなわない。むしろ、途中で車ごと乗り込むフェリーで地元の人たちを写した写真の方が期待できそうだ。また人物を撮ってしまった…。

ヴェトナムの伝説や民話などが水面で演じられる水上人形劇は撮影していても楽しかった。台詞(せりふ)がわからなくてもパントマイムとして楽しめるようにしてある。夜間に水際で演じられるので冷房がなくても涼しい。世界でも珍しい人形劇である。素朴なハノイ市民の娯楽なのだろう。

いよいよハノイでの最終日となった日の夕方、市の北はずれにあるタイ湖(西湖)に出かけた。家族連れや若者で賑わっていた。子供がアイスクリームをねだっている。雲間から夕日が顔を出したのであわてて湖畔に降りてカメラをかまえる。

それはハワイなどで見るような強烈な夕日ではなかったがモーターやスピーカーなどの騒音が一切ない静寂の中を沈んで行く姿は美しいものだった。各国の夕日を見ているがハノイはこれでなければ、と思った。

さあ、明日からは麗しの古都フエが待っている。  (つづく)