(雲南編 4) 世界遺産 麗江

西藏(チベット)よさらば…。今日は一路タクシーで麗江(リージアン)へ。英語ができるガイド付きで、と頼んでおいたのですがやはりダメ。でもよく動いてくれるガイドでした。

途中、有名な観光地である虎跳峡に立ち寄り、迫力のある流れにシャッターを切ります。下からゴーという音が絶え間なく聞こえ、流れも急で見下ろすと足がすくんでしまうほど。写真の左下の女性は記念写真のためのモデルですがこんな所で商売になるのでしょうか?

もう一つの観光地、長江第一湾にも立ち寄って夕方麗江のホテルに到着。雲南に初めて誕生した五つ星ホテルだけに英語でスムーズにチェックイン。すると背後から「いらっしゃいませ」と男性の声。驚いて振り向くと長身の日本人スタッフ。英語だけでもありがたいのに日本語のサービスとはさすが五つ星!

大学を出たばかりというY君はここのスタッフになってちょうど2カ月。そろそろ日本人と話したいと思っていた所だというので夕食を一緒にとる事にしました。今回の旅は出会いに恵まれてほとんどの夕食を誰かと一緒にとっています。朝、昼は一人でもいいのですが夕食はやはり寂しいですね。

「今夜四方街(旧市街)でナシ族の踊りがあるんです。」 と彼から聞き、早速一緒に出かけました。四方街へ足を一歩踏み入れたとたん、故郷へ帰ったような郷愁を覚えました。30年以上前の京都がそこにあったからです。木造家屋と石畳、薄暗い照明とせせらぎの音…。京都も麗江も世界文化遺産に指定されましたが、麗江では旧市街のビルを木造家屋に立て替えていると聞き、京都よりもエライ!と思いました。

さて彼に四方街一帯を案内してもらいながら広場に到着。ちょうど踊りが始まるところでした。元気なオバさんの笑顔がステキですね。

2枚ともスローシンクロといって、背景に露出を合わせてストロボを発光して撮影したものです(F4、8分の1秒)。もし、ストロボ光だけで撮影すると(F4、60分の1秒)夕暮れの空やイルミネーションがほとんど写らず、この写真のようなムードがなくなります。日本の盆踊りを見るようで、一晩でこの街がスキになりました。

翌日はまず玉泉公園へ。天気が良ければこの街のシンボルである玉龍雪山が湖面に映り、すばらしい光景で有名な所なんですがあいにくの曇りで姿を見せてくれません。仕方がないのでお茶所などをスナップして回ります。提灯と楼閣を重ねて一幅の絵に仕上げました。

公園を出て四方街へ向かおうとした時、ナシ族のお年寄りが話しながら歩いてきます。背景とピッタリですね。

四方街でのひとコマ。ノスタルジックに表現したものです。

獅子山の萬古楼にあるトンパ文字の額。ナシ族特有の絵文字なんですが、じっと見ていても意味は分かりませんでした。

萬古楼の内扉です。柔らかい光線に浮かび上がって迫力がありますね。こうして視覚に訴えるものは分かりやすく、写真の魅力はそこにあります。

獅子山のふもとから旧市街の屋根を写してみました。瓦屋根の美しさを再認識したくなる街並みです。

四方街の夜景ですが空がまだ青い間に撮影するのがコツ。真っ黒な空よりも青い方が赤いイルミネーションがより映えて鮮やかです。アマチュア時代にこの時間帯に撮影した写真ばかり入選したので「暮色の北奥」と呼ばれました。

翌朝目を覚ますと晴れているので最上階(23階)の回転レストランへ急ぎ、街のシンボルである玉龍雪山を撮影しました。5600mある主峰はまだ姿を見せませんが雪山中路がこの山に向かって一直線に伸びている様は壮観です。

この雪山中路の先にあるのが白沙村。明清時代はここが政治・文化の中心だったとは思えないほどひなびた村落です。ここには有名な壁画があり、撮影しようとすると「禁止照相」(撮影禁止)の張り紙が…。日本からこの壁画を撮影するためにやって来た、などとかなり大げさに頼んだのですが頑として応じてくれないのが入口のこのオジさん。残念で悔しくってヤケクソになり、「それなら、あなたの写真だけでも撮らせてよ…。」と言ったらニコッと笑ってくれました。

近くでは藤の花の下でお年寄りが談笑しています。のどかな日常生活のひとこまです。

広場の方から音楽が聞こえてきたので見に行くと沢山の人が集まって踊っていました。まるで大運動会のようです。小柄なお年寄りが御揃いの衣装と帽子で並んでいるとカワイイですね。

踊りを見て楽しむ人々。村民総出のようです。

小さな美術館の入口に掛けられていたトンパ文字の看板。皆さん、意味が分かりますか?

午後、市内の四方街に戻ってきたらまた踊り。この笑顔, ナシ族の人はホンマに踊りが好きなんやなぁー。

このナシ族の衣装も今日が見納め。踊りに始まり踊りに終った麗江の街でした。

(続く)

協力 日本エアーシステム