第76回 「話す」 「書く」

 

3年にわたる新聞連載を終えたあと、3日後に「北奥氏の連載終了を惜しむ」との読者からの投書が紙上に掲載された。担当の記者から「苦情などの投書は多いがこのような投書は珍しい」と聞き、うれしさがこみ上げてきた。

それからも出会った人の多くが「ずっと読んでいたのに残念です」と言ってくれた。ほとんどの人が誉めてくれたのは「わかりやすい文で写真がきれい!」ということだった。お世辞半分としてもうれしいものである。そして何人かの方から「ホームページでのレッスンは止めないで」と言われた。

新聞連載は3年だったが、HPでのフォトレッスンは7年を超え、それなりの実績をあげている。第39回から続いた歳時記は少し休ませていただいて、還暦を迎えた写真家の“つぶやき”にお付き合いのほどを・・・

さて、先日盛会のうちに終了したプロ写真家八人による「源氏」展では2つの初の試みがなされた。

(当日の京都新聞記事はこちら

ひとつは京都府が主催する写真展の審査員全員が共通のテーマで制作した写真展であること、もうひとつは各作家が自作を語る「トークショー」を実施したことである。

前者については八人がそれぞれの個性を生かした「源氏」が見られるとあって前評判も良く、見ないと損をするぞ、と言われて会場に駆けつけた人がいた。また、会期中に何度も来てくれたリピーターも多い。競作となった各作家は手を抜くわけに行かず、個展以上に力が入ったのは私だけではあるまい。

後者のトークショーは当初は予定していなかったので十分な周知ができず客足を心配したが、ほぼ満員となった。作家が自作を前に熱弁を振るう。この語り口が各人各様で、聞いていて楽しかった。

ついに私の番がきた。話す内容と順序は頭に入れておいたはずなのだが、いざ話し出すと支離滅裂となり、起承転結が出来ないまま終了。「話す」ことと「書く」ことの違いを痛感したのである。

「書く」場合には何度も読み直して訂正できるが、話す時はそれができない。よほど冷静でなければ発言したことの訂正はその場では不可能である。いつまでも絶えない政治家の失言などはその好例だろう。反対に、プロ野球の名監督がインタビユーに応じる時、まず「そうですねぇ〜」と答えながら次の言葉を選ぶそうだがこれは発言の機会が多い人が編み出した智恵であろう。

写真は一瞬を捉える技であり、「瞬間芸」と呼ばれることがある。しかし、余分に写り込んだものをカットしたり、イメージに近い色にプリントしたり、展示する額やフレームを選んだりする作業も大切である。それはグラビア誌の編集でも同様で、作品の良し悪しを左右する。「書く」ことと同じく、何度も推敲しながら完成させていく過程を楽しみましょう。

ちなみに、八人展でのトークショーは参加者から「各作家の撮影意図がよくわかり、作品の理解に役立った」との評価をいただいたので付け加えておきます。そして、6月28日の「風の雅」大阪展の会場で名誉挽回のトークショーを開催しますのでお申し込みをお待ちしております。