第63回  こだわり歳時記

季節感  


天候が不順である。今冬は何十年ぶりかの暖冬で、市内では雪がほとんど降らなかった。大雪で各地に被害をもたらした昨年とは大変な違いである。
特に三月に入ってからは気温が二十度を越す日が続いたかと思うと翌日は小雪がちらつくほど冷え込む始末である。これでは季節感がおかしくなってしまう。

厳しい寒さが過ぎて、一抹の風にあたたかさを感じる頃に梅がほころび、春がやって来る。ところが今年は冬の間に梅が満開となり、桜の開花もかなり早くなるという。早春がなく、いきなり春本番を迎えるのである。


我々は季節のはっきりした風土に生まれ育ち、季節に対する感覚が鋭い。それを短歌や俳句で、あるいは日常のあいさつで表現しながら感性を磨いてきた。
たとえば俳句では春だけで立春・早春・仲春・春深し・行春・晩春など六百ほどの季語があり、季節の移ろいをきめこまやかに詠む。
俳句を作る者でなくても、日暮れが遅くなってきたことに気付き、柳が芽吹くのを見て季節の変化を感じる。この「自然」を感じ取る感性が人生を豊かにしてくれるのである。


ところが、店先にキュウリやリンゴが一年中あるため季節感がうすれていくのに加えてこの天候不順。自然に対する感性がますます失われていくのではないかと不安になってくる。
元米国副大統領のゴア氏は三十年前から環境問題に熱心に取り組んできたという。話題の映画「不都合な真実」がそれを物語っている。京都議定書を批准していない超大国を含め、すべての国が温暖化防止にもっと真剣に取り組まねば大変なことになる。


現在京都市内で開催中の東山花灯路が終われば春を告げる都をどりが開幕する=上の写真。

視覚だけでなく、肌で季節を感じることが今年はできるであろうか。

              (京都新聞 2007年3月14日掲載)