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 「写真は記録か表現か


前回の島田謹介に続いて「技巧を凝らさない写真家」をもう1人ご紹介します。
畠山 崇(はたけやま たかし)。ご存知の方は少ないかもしれません。その理由は主としてアート作品の撮影が多く、ご自身の名前を出さなかったからです。

 略歴ですが1944年、大阪市生まれで日本写真専門学校卒業後、印刷会社勤務を経て1974年フリーランスとなり、以後京都を中心とした美術工芸の世界の写真を撮り続け2022年に亡くなりました。

印刷会社勤務を経て30歳でフリーになったのが私に似ているので気になっていました。最近、京都工芸繊維大学美術工芸資料館で「畠山崇の写真T」と題した写真展があったのでそのご報告です。

第一弾となる本展では美術工芸を写したものはなく、氏が訪れたアメリカや中国の写真が展示されていました。
(以下の
2点は同展のチラシより抜粋)





この
2点を見てお分かりの通り、技巧を凝らさずに写し撮っています。

展示についてのあいさつ文でも「畠山さんは作家主義的な写真家ではありませんでした・・しかし、多くの作家や美術関係者から仕事を託され、現代関西工芸界の貴重な記録となっています」と書かれていました。

「作家主義的な」とは撮影者がみずから表現行為をすることであり「記録する」行為とは異なります。畠山氏は後者の仕事をやり遂げたのです。

私は以前にも書きましたが、法隆寺金堂壁画や高松塚古墳壁画などの撮影で知られる美術印刷会社の写真部でオリジナルを忠実に再現・記録する仕事に就いていました。

そうした再現や記録の仕事が大切なことは分かっていたのですが馴染めず、どうしても「自分の写真」を撮りたくてフリーになりました。

現在でもやはり自己を表現する写真に惹かれるので写真教室では「如何にして個性を出すか」に主眼を置いて指導しています。

写真が発明されて以来、記録か表現かがいつも問われており、撮影中も脳裏から離れません。ところがある日、友人から「先日テレビで入江泰吉の写真を見たけどモノクロの古都はきれいだなと思いました」とのメールが届き、パッと目の前が明るくなりました。

入江泰吉は「大和は国のまほろば」を独特の諧調(トーン)で表現した写真家ですが、同時に貴重な記録写真にもなっています。そうか、名作は表現作品でもあり記録写真でもあるのですね。

記録か、表現か、なんて考えずにひたすら名作を目指してがんばるしかない、という訳の分からない結論に達したのです。

(協力 京都工芸繊維大学美術工芸資料館)