随想 第118回  陰暦礼賛

陰暦(太陰)とは新月を含む日を1日とし、月の満ち欠けで1か月を定める暦です。 太陰とは太陽に対して用いられる言葉で、月のことを指します。 昨日の太陽と今日の太陽の違いは分かりにくいのですが、月は形や見える時間が毎日変わっていくので、違いが明確にわかります。

写真的にも太陽は明るすぎるので朝日とか夕日しか写せませんが月は三日月でも半月でも、あるいは満月でも写欲をそそります。
かつて受講生に北奥先生は太陽だ、と言われたことがありますがそれは私の性格の明るさでそう思われたのでしょう。でも好きなのは太陽よりも月の方です。月は神秘的で眺めていて飽きないのがいいですね。

こうして月と陰暦に魅せられている時に「京都の不思議」(黒田正子著 光村推古書院刊)という本に出会いました。要約しますと、

明治以降、太陰暦が太陽暦に変わって、日本人の情緒は失われてしまった。自然界のリズムは月に引かれる、それが陰暦(旧暦)である。(中略)
たとえば大文字の送り火は午後
8時に点火と決まっているが昔はそうではなかった。旧暦716日の日没と月の出との間に点すのが習わしだった。薄暮に点火されると暗くなるにつれ大の字が浮かびあがり、そこに十六夜の月が出る。完璧なまでの演出である。

そもそも日本の行事はみな旧暦で行なわれてきた。そこに日本人特有の情緒を育ててきた。にもかかわらず今はまだ雪も降る33日にひなまつりをし、梅雨の最中の77日に七夕を祀って、天の川を見上げている。
私たち世代は、旧暦・新暦の矛盾に鈍感すぎたのかもしれないと反省している。

これを読んで、同世代の一人としてやはり日本人には陰暦が合っているように思えます。風景に対するときには常に陰暦を念頭に置いて撮影したいものです。